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2004年も残りわずか・・・・

みなさん、今年も1年ありがとうございました。まず、今年を振り返ると、1月に日進医療器とスポンサー契約を交わし、新しいレーサーに乗り換えました。開発にかなり苦労しましたが最近やっとしっくりきました。 3月からひとり立ちしてプロの道へ。これまた大変でしたが何とかやりくりして1年過ぎました。会社員とプロ、やりたい事と出来る事、いろいろプラスもマイナスもありますが自分の選んだ道に間違いは無かったと思います。(いや、ちょっと間違ってたかな!?) 6月初の著書「どうせ、生きるなら」の出版。まさか本を出すとは・・・でも、いろんな特別な経験をしてるので出来る限り残せればと思い、やってみました。皆さん、ご購読ありがとう。同じく6月から写真家わたなべじん氏の写真展 Road to Athens -F1のごとく- を銀座、福岡、大阪の3箇所で行いました。これまた初体験です。 7月廣道純後援会が発足。大分のメンバーが中心となって、立ち上げてくれました。まだまだ活動できてませんが徐々に頑張ります。もうちょっと待っててくださいね。 8月、全日空とスポンサー契約を結びました。お陰で今まで通りいろんな大会に参加出来ました。アテネにもパーソナルトレーナーとカメラマンに同行してもらえました。 そう、9月はアテネです。プロになり、いろいろありましたが何とか銅メダルをとりました。厳しかった。これが現実。練習量、テクニック、道具、精神全てが揃わないと金メダルには届きません。2008年は全てに不安なく望めるよう頑張ります。 10月アテネ後の大分マラソン、雨対策に失敗し、リタイヤ。応援に来てくれた皆さん、ほんまにすいません。来年、リベンジします。 12月年内最後をホノルルマラソン2位で終え、長い2004年が終了です。初めての経験だらけで苦労しましたが、何とか起動に乗ったかな? 同じく12月恒例のバースデーライブも行い、みんなで1年を振り返ってのトークあり、歌あり、映像に、写真ありと楽しく過ごせました。チャリティのお金も、翌日、別府市内の児童福祉施設に届けて、子供たちとも楽しい時間を過ごせました。 で、最後は2005年に向けて、ハワイ島コナで冬季合宿です。韓国人元ゴールドメダリスト、ボンホーの家で走りこんでます。
本当にいろいろな事を経験しました。来年もまた、皆さんと一緒に楽しい年に出来ればと思います。今後ともよろしくお願いします。皆さんにとって、2005年が良い年でありますように、心からお祈りいたします。 Keep Going!!



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12月12日 年内最後のホノルルマラソン2位でフィニッシュ

午前2時起床、準備をしてホテルを出発し4時に車いす選手の集合場所に行き、3万人のランナーの間をぬってスタート地点までパレード。午前4時55分、真っ暗なアラモアナショッピングセンター前をスタート。5〜6kmでクリガ、jhiromichi、ムン(韓国)の3人から、ムンが脱落。クリガとの一騎打ちでフリーウェイを抜け、ハワイカイで折り返し、そして最後の難所39km地点のダイヤモンドヘッドの登りで遂に、クリガに逃げられ惜しくも2位。タイムは1時間35分28秒でホノルルのコース自己新でした。クリガとの差は1分25秒。今までのホノルルで一番良い走りでした。レース後のパーティ行く前に、野口みずきさんと記念撮影してきました。


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11月27日 長渕剛ファンクラブイベントにて

8月の桜島オールナイトライブのファンへのThank you Liveと題して、アニキが福岡にやってきました。3時間近くのライブは全曲弾き語りで話題のCMのメイキングビデオやトークありの豪華な内容でした。終演後、楽屋に挨拶に行き銅メダルの報告をしてきました。やっぱり、カッコいい!!剛、最高!!




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津山駅伝で大分チーム史上初の6連覇達成!!

11月21日、岡山県津山市にて恒例の津山国際車いす駅伝競走大会が行われ、アジア各国、全国より28チームが集結し、熱戦を繰り広げました。
大分チームは1区廣道が1km過ぎから独走態勢に入り、2位広島に40秒差で2区の宮平選手へ。宮平選手も区間賞で3区渡辺選手へ。同じく区間賞の走りで、4区は新人の16歳魚返(おがえり)くんへ。新人ながら区間3位の力走で、アンカー笹原選手へ。敵なしの走りで区間新の快走で2位韓国チームに約8分差をつけ圧勝で6連覇を達成しました。結局、5人中4人が区間賞獲得でした。今回は補欠なしの5人で戦いましたが、新人の魚返くんも見事な走りを見せてくれ、今後が楽しみです。ただ、もう少し若手の育成もがんばらないと、いつまで続くか心配です。目指せ。10連覇!!

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12月18日 恒例のバースデーライブ 決定!!

今年は後援会も発足し、いつものライブとはちょこっと変えてみようかと・・・
今回の会場は、別府駅前のスポーツバー Smal Eyeです。映像も流せるし、会場も元映画館とあって、写真展で使った写真の展示もしようかと思います。時間、料金などまだ決まってませんが、近日中にお知らせします。もちろん、今年も別府市内の児童福祉施設へのチャリティを行いますので、皆さん、是非お越しください。チケットは枚数に限りがあるので出来るだけお早めに、メールか電話ください。

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アテネの話、第2弾

さぁ、話は選手村に入ってから・・・
とりあえず、選手村から練習会場までの行き方も、初日に把握し普段どおり練習を再開。
長旅の疲れもそんなになく、「よし、イケる」って感じでした。食堂も前回同様、マクドナルドもあり、海外の食事もそんなに困ったことがなく、これも問題なし。シャワーとトイレが水はけが悪く、いつもびしょ濡れってのがちょっと困ったかな。まぁ、慣れれば快適かな?というくらいの選手村の印象でした。で、毎日練習をしながら、「あれっ、なんか筋肉痛。しかもいつもと違う場所が・・・」実は日々の生活で、山を切り開いて作った選手村内の移動、日に3回の食堂までの道のりなどで、普段用車いすの疲れが・・・これには参った。日ごろ、いかに車を使って、車いすを漕いでいなかったのかと思い知らされました。まぁ、この後の過酷なレースの疲れからすると大した疲れではないんですが。
で、いよいよ開会式。気分も最高潮に。初日の1500m、10000mで調子を探ろうと思ってたんですが、回りの速さに唖然。10000mは準決勝落ち、1500mは予選通過するも、翌日の準決勝で敗退。「やば〜い!!」実は今回の日程は、結構ラッキーと思ってた。前半戦で調子を掴んで、決勝でそこそこの走りをして、メインの800mに繋げようと思ってたのですが、いきなりの苦戦。そして400mも準決勝で敗退。あとが無くなった状態で、800mのメインレースに。 こうなったら気持ちを切り替えよう!と、それまでのレースで使ってた出発直前に出来上がった新しいレーサーを使うのをやめ、8月から乗り込んでたフレームに戻して予選に。すると今までとは大違いの走りで楽々通過。そして、決勝も自己の日本記録を1秒近く更新しての銅メダル獲得となりました。1月から5台のレーサーを作るうちに、ベストポジションがわからなくなってたようで、通常では出来上がったばかりのレーサーを使うことはないのに、新しいフレームの方が、合ってるような気がして使ってました。結果、ポジションが微妙に違ってて大苦戦。日程的に800mが最後だったので、気づいて良かったです。やっぱり、そう簡単には勝てないのがパラリンピック。改めて世界の壁を感じました。来年はレーサーも完璧に出来上がってるので、良い走りが出来そう。2005年はマラソン中心にするつもりです。目標は日本記録、奪回!!いろんな意味で、成長出来たようなアテネパラリンピックでした。
本当に皆さん、応援ありがとうございました。

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第24回大分国際車いすマラソン 2004年10月31日

今年の大分はあいにくの雨・・・2年前の雨のレースで3位に入って、日ごろから雨には自信があったので、今回もひょっとして・・・とちょっと欲が出ました。
 もともとアテネの後でトラックレースからマラソンの体までには仕上がってなかったので、10位以内に入れればというのが、最初の目標だったのが、雨で欲が出てしまった。普段、滑り止めを特に使わずに走っても雨でも滑らないのに、さらに滑らないようにと特殊なボンドをスタート前に塗ってしまって、これがヌルヌル滑りまくって、スタートから大きく出遅れ、何とか5kmの王子折り返しで第二集団が見えるところまでは追い上げたのですが、思うように走れず、7km地点の競技場前でリタイヤしました。14回目の出場で初のリタイヤです。まぁ、自分の判断ミスなので仕方ありません。せっかく雨の中、応援に来てくれた皆さん、すいませんでした。2度とこんなミスしません。 ほんとは大分の後、OFFに入るつもりでしたが、12月のホノルル、1月の大阪マラソンまで気合を入れて、来年はマラソン中心のスケジュールでがんばります。




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銅メダル!!

長かったアテネパラリンピックも無事終わり、帰ってちょっと落ち着きを取り戻しつつあります。今回は2大会連続メダル獲得のプレッシャーや出発直前に出来上がったレーサーのセッティング、チャーター便だった為、無駄に長かった空の旅など結構、厳しい大会になりましたが、メイン種目の800mで何とか銅メダルに届き、しかも記録は自己の日本記録を更新しての1分38秒84の好タイムというおまけつきで、何とか大分に戻って来れました。
まず、出発の日。
羽田に13時に到着、まず機内預けの荷物をまとめます。そして夕方まで時間を潰し(空港で何をするねん!!怒)その後、選手団結団式、壮行会で夜9時まで。(この時点でかなり疲れてます。こんな時間あったら練習させてくれ〜)で、いよいよ出発!深夜2時。でも車いすが多く全員が乗り込むのに、まず2時間。
機内ではぐっすり眠れました。が・・・突然、アナウンス。燃料不足のため、モスクワ経由に変更。チャーター便で直行と聞いてたのに、結局経由。3時間ストップしたので、チャーターの意味なし!気を取り直して、アテネ到着!遂にやってきたぁ〜!!
でもまたしても・・・今度はギリシャの空港職員の指示により、一人ひとりを機内用車いすに乗せて降機。要領が悪く2時間以上。この時点で、何のためのチャーター便か?かなりムカムカきてました。機内にレーサーを積めず、前日便でレーサーだけ送ったため、直前までの練習も出来なかったし・・・車いすレースではありえない話・・・いったい誰が決めたんやろか?まぁ、無事、アテネに入れたから良しとしよう。
ココからが、25日の800m決勝、銅メダル獲得まで長〜い不調の日々の始まりですが、今回はこの辺で。 次回の更新をお楽しみに!!

アテネパラリンピック情報 詳しくは 日本障害者スポーツ協会の公式HPへ http://www.jsad.or.jp/







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8月31日〜9月4日 宮城合宿

台風の為、30日出発のはずが、1日遅れて宮城入り(この日も朝の便は欠航して大変やった)。無事、仙台空港に着いて、まず宮城チームのみなさんと牛タンを食べ、そのまま練習コースへ。さすがに食後すぐの練習はきつく、吐きそうになりながら44kmほど走り、台風で鈍った体が一気に目覚めました。
 2日目は朝からトラック、午後にウェイト、夕方ロードと3部練習し、ちょっとヘトヘトに。3日目は案の定、ウェイトの筋肉痛で苦しみながらも、何とかトラックと坂上りをこなし、最強の4日目はなんと、60kmも走ってしまった。朝トラック、昼ウェイト、夕方キツ〜い坂とトラックとまた、3部練習。実はこの日からNHKの取材が入ってて、カメラの前やと、やっぱり頑張りすぎてしまった。(笑) ちなみに、放送は9月16日朝7時45分〜8時10分の間の7分ほどの特集です。
 そして無事に最終日を向かえました。この日は宮城国体会場のグランディ21メイントラックをほぼ貸切状態で使え、たっぷりインターバルをやって、大満足で帰路に着きました。
 宮城マラソンクラブの皆様、大変お世話になりました。安斎君も毎日、福島からありがとう。
これでアテネでも良い走りが出来そうです。やっぱり夏の宮城は最高!!毎年、行くでぇ〜

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ANA福岡支店にて講演会&壮行会

8月24日、全日空福岡支店にてアテネ出発を前に、講演会を行い、その後、壮行会を行ってもらいました。大変忙しい中、仕事の合間をぬって、100名以上の方々に集まっていただき、まず、1時間程、講演をさせていただきました。その後、質問コーナーがあり、アテネパラリンピックに向けての壮行会へと変り、最後は日の丸の旗でお見送りまでしていただき、ほんとに「いよいよ、アテネ!!」って感じになってきました。おまけに、質問の中で、アテネでの金メダル宣言?までされられ・・・皆さんの、暖かい声援を心より感謝します。終わってからの食事会も名物、鯛茶漬けをご馳走になり、たのしいひと時でした。必ず、メダルを持って報告会を行いたいと思いますので、応援よろしくお願いします。

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アテネ最終日程

やっと最終の日程が出ました。当初、1500mも準決勝と決勝のみになってたのですが、最終エントリーで予選、準決勝、決勝といつも通りの厳しい展開になりました。
各競技ごとに時間はたっぷりありそうなので、しっかり調整できそうです。
台風が収まってから9月4日まで仙台にて最終調整行って来ます。

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アテネパラリンピックのNHK放送スケジュール

9/11 22:00-23:30 教育ETV特集  『限界への挑戦〜アテネパラリンピック直前特集〜』

9/1723:00-23:43 総合にんげんドキュメント  『俺の生きざま〜車いすマラソンにかけた親子の夏〜』

9/1802:30-05:30 総合『アテネパラリンピック開会式』
19:00-20:30教育『アテネパラリンピック開会式』 再放送

9/1902:20-03:50 教育ETV特集  『限界への挑戦〜アテネパラリンピック直前特集〜』 再放送
14:15-15:00総合『アテネパラリンピック2004』
20:00-20:45教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/2014:05-14:50 総合『アテネパラリンピック2004』
19:30-20:15教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/21 14:05-14:50 総合『アテネパラリンピック2004』
19:30-20:15教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/22 14:05-14:50 総合『パラリンピックアワー2004』
19:30-20:15教育『パラリンピックアワー2004』 再放送

9/23 01:00-01:43 総合にんげんドキュメント 
『俺の生きざま〜車いすマラソンにかけた親子の夏〜』 
再放送
14:00-15:45総合『アテネパラリンピック2004』
19:30-20:15教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/24 14:05-14:50 総合『アテネパラリンピック2004』
17:15-17:58BS2にんげんドキュメント  『俺の生きざま〜車いすマラソンにかけた親子の夏〜』 再放送
19:00-19:45教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/2514:25-15:25 総合『アテネパラリンピック2004』
20:00-21:00教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/26 14:15-15:00 総合『アテネパラリンピック2004』
19:00-19:45教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/2714:05-14:50 総合『アテネパラリンピック2004』
19:30-20:15教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/2814:05-14:50 総合『アテネパラリンピック2004』
19:30-20:15教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

9/29 14:05-15:00 総合『アテネパラリンピック2004』
19:30-20:25教育『アテネパラリンピック2004』 再放送

10/2 16:30-18:00 総合『アテネパラリンピック総集編 熱く燃えた12日間』

10/910:00-11:30 教育『アテネパラリンピック総集編 熱く燃えた12日間』 再放送


※タイトルや放送時間については変更になる場合があります。

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アテネパラリンピックのスケジュール

11日 午前1時チャーター機にて羽田空港から出発
17日 開会式
19日 陸上競技初日 夕方 1500m準決勝、10000m準決勝
20日   2日目    夕方 1500m 決勝
21日   3日目    夕方 10000m決勝
22日   4日目    午前 400m 準決勝
23日   5日目    夕方 400m  決勝
24日   6日目    夕方 800m 準決勝
25日   7日目    夕方 800m  決勝、200m準決勝
26日   8日目    午前 マラソン
27日   9日目    夕方 200m  決勝
28日 閉会式
10月1日 アテネ発
10月2日 羽田空港着

予想通りOFFは1日もないみたいです。が、ほとんどが1日1レースなので、一番良い感じかな?試合と練習のメリハリをきっちり付けて、疲れをためずにがんばります。
NHKでもかなり放送されるみたいなので、見てくださいね。

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種子島、連覇失敗!!

5連覇のかかった今年の種子島ハーフ。今までにない暑さの中、夕方5時25分にスタートしました。いつもなら得意の下りでグイグイ行くのに全く転がっていない。周りの選手が漕がずに下っていく中、一人だけ漕ぎ続けながら、何とか先頭集団6人で最初の折り返し地点(2km)を通過し、長い上り坂に。案の定、ジワジワは慣れだし4km地点で早くも3人(副島、笹原、花岡)に逃げられ、岩下、山本と4位集団を形成し、そのまま何とか4位キープでゴール。過去最低の48分34秒で、順位もタイムもイマイチでした。
まぁ、連覇を逃して気持ちの入れ替えが出来、一からの出直しです。
種子島の皆さん、期待に応えられず、すいません。来年、取り返せるよう頑張ります。

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7月1日、2日アトランタ オリンピック予選

6月28日、銀座の写真展に顔出し、夕方はオープニングパーティに出席して、その後雑誌の取材を済ませ、成田に移動。翌30日アトランタへ飛び立ちました。
今年のアトランタは例年よりやや涼しい感じでしたが、やっぱり雨でした。1日、まず予選4組が行われ、順当に16人の準決勝進出者が決まり、(もちろん廣道も残ってます)2日の準決勝です。1組目2周目からジョエルが先頭に出て、最後まで引っ張り続け、最後に差したサウルと共に3分01秒の好タイム。3位はレース巧者のジェフが入り、期待のエレンストはレーサートラブルの為、8位で敗退。
2組目はチョークが先頭に出て、2コースをラワットが併走し、ラストでクートが仕掛けてトップでフィニッシュ、チョークが2位。3位は地元アトランタのスコットが見事な展開で入りました。タイムは3分00秒で1組目を上回ったので、4位のラワット、5位のロベルトまでが決勝(アテネ本戦)を決めました。廣道は接戦ながら7位で敗退しました。まぁ、駆け引き難しさ、仕掛けどころの判断ミスなどありますが、誰が残ってもおかしくないメンバーで戦えて満足です。
その後のアメリカシリーズのトラックレースの5000mに出場し、10分05秒49の日本記録を11秒ほど更新し5位でした。自分の調子は上がってるのですが、さすがオリンピックイヤー、みんな上がってます。5000mは7年ぶりに世界記録が更新されました。
まぁ、9月パラリンピックに向けて、手応えも充分感じてるので、バリバリ走ります。

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廣道純 後援会が出来ました

7月18日(日)午後7時30分より、発足記念パーティを大分市のダイヤモンドフェリー乗り場横のライブハウス「ブリックブロック」にて行います。150人限定で、チケットに限りがありますが、入場料は大人1500円、中高生1000円、小学生以下500円で1ドリンク付きです。
司会はラジオ・テレビでおなじみのクボタヨシフミくん。県内NO.1おじさんバンド「ストリートシャッフル」と「岩男健一」による長渕剛顔負けの弾き語りライブと廣道純のトークショーです。お時間ある方は是非、お越しください。チケットの予約はメールにて。jhiromichi@aol.comまで。

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6月28日銀座で写真展開幕!!

ついにこの日を迎える事が出来ました。仁さんと出会ってあっという間に4年になります。この4年間、ほんまにいろんな事がありましたが、無事、写真展まで漕ぎ続ける事が出来ました。仁さんが「最初に言ったことはやり遂げる」と本物のオトコだったので、成功したと思います。初日はどうなるかと不安もありましたが、かなりの人にお越しいただいたようです。夕方6時からのパーティも盛り上がりました。「F−1のごとく Road to Athenes −廣道純とその世界−」はまだ始まったばかり。このまま、4年後のRoad to 北京も続けていく予定です。っと、その前にまだ、アテネも始まってなかった。まずは、アテネできっちりと結果を出して、仁さんに最高の写真を撮ってもらう。まずはそこから!!
てな訳で、今成田のホテルでこの原稿書いてます。今日29日15時30分、アトランタに向けて旅だちます。8月のオリンピックの車いす1500mエキシビジョンの予選です。パラリンピックの前に、もう一仕事頑張ってきます!!

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6月26日、エロ監こと仲前信治が結婚しました。

大分国際マラソンの海外選手の受け入れや、ナイター陸上の事務局などをやりながら、太陽の家の陸上部バーリーACの監督という、超多忙なかれも29歳にして、無事、結婚しました。
これで、陸上界ともちょっとは疎遠になるんかなぁ??(笑)
まぁ、最後のミンミン(新婦)(別に中国人ではない)の大粒の涙を見てしまったので、悪事には誘えなくなってしまった。まぁ、末永く、お幸せに!!

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台風に振り回されてます!!

先週18日に無事、東京でFMラジオの出演を終え、大分に戻ってたのですが、今日21日の東京での講演のために、また東京に戻ってきました。しかも、台風の影響で、予定より1日早めて昨日東京入り、結局1日だけの大分でした。そんでもって来週28日はいよいよ銀座のキヤノンサロンで写真展が始まります。初日だけですが、挨拶のため、また東京入りです。そのまま29日成田からアメリカへ出発し、オリンピック1500mエキシビジョンの予選があります。ここで決勝まで残れば8月22日オリンピックの中で、1500mエキシビジョンに世界の代表8人という事で出場出来ます。9月パラリンピックに先駆けて、本物のオリンピックで走れるというチャンスです。8人に残るのはかなり厳しいと思いますが、全力で頑張ります。ちょっと、忙しいので心配ですが・・・
ちなみに、この予選は各国3名までで、持ちタイムによって決められます。1500mという車いすレースの花形種目で、スピード、作戦、持久力、パワー、全てが必要で、何か1つでもミスがあるとあっさり負けてしまう、一番魅力のある種目です。残れるように祈っといてくださいね。

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6月28日より写真展、開催。

約4年の間、世界各国のレースに同伴し、追い続けてくれたカメラマン・わたなべじんさんの写真展がいよいよ、開幕です。タイトルは「F-1のごとく Road to Athens −廣道純とその世界−」です。じんさんとの出会いは2000年大分国際マラソン。その時の写真を見たときに、「プロ」を感じました。以来スイス、ドイツ、オーストラリア、韓国、国内各地において、今や誰もが知ってるカメラマン!!そのじんさんの4年間が遂にベールを脱いでって大げさかな?でも、かなりインパクトのある写真ばっかりです。レースを見た事ある人も、まだ、見た事ない人も、この機会に是非、ご覧ください。
詳しくは、各会場にお問い合わせください。
東京銀座 03-3573-7822
福岡    092-411-4173
大阪梅田 06-4795-9016
各会場、初日には顔を出して一言挨拶させていただきます。みなさんのご来場、心よりお待ちしております。




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アテネパラリンピック記念T−シャツ

この度、日本身障陸連でアテネパラリンピックの記念T-シャツを製作、販売することになりました。売り上げはすべて、選手の強化費にまわる予定です。
もし、趣旨にご賛同していただき、興味を持っていただけましたら、4年に一度のの記念にいかがですか??

すでに2000着ほど売れてるらしいです。
ご希望の方は、住所、氏名、サイズ(S.M.L ) 枚数を廣道純(jhiromichi@aol.com)までメールでお願いします。


以下、陸連のページより引用しました。

アテネパラリンピック応援Tシャツの販売
:アテネに向けて陸上競技日本代表チーム応援Tシャツを販売します.1枚2,000円(送料別).
デザインは石垣島の崎山克馬さんが仕上げてくれました.日の丸と「勝」をイメージして中心の赤い部分はパラリンピック実施競技名がデザインされています.Tシャツの素材は競技用に作製されている綿製ではなくドライフィット感覚の軽くて発汗が良いものです.Tシャツの売り上げは,アテネまでの選手の合宿費や現地での活動費などに当てさせていただきます.一つでも多くの金メダルを取るためにも出来るだけしっかりした準備でアテネに乗り込みたいと思います.ご協力お願いします.

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「どうせ、生きるなら」

いよいよ、本が出ます。発売は6月30日で、全国の書店にて。価格は1,400円+税。
子供の頃の話から、車いすの生活、レースとの出会いなど、ちょこっと恋愛の話なども。もし良かったらたっぷり笑ってやってください。もちろん、大阪弁丸出しで書いてます。
詳しくは http://www.j-n.co.jp/cgi-bin/product_detail.cgi?code=4-408-39557-9 まで。

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スイス遠征記 Vol.3

残念ながらマラソンはリタイヤしました。応急処置のフロントフォークがやはり持ちませんでした。まぁ、こんな時もあります。これがパラリンピックじゃなくて良かった。とりあえず、気持ちを切り替え、次につなげます。優勝のジョエルは1時間22分台で、最後の上りでハインツに100m程差をあけての優勝でした。2位のハインツの22分台。ボストンで1時間18分台を出したエレンストが、後半、やや遅れて23分後半のタイムで3位。結局、この3人がスタートぐんぐん後続を引き離して、4位以下に7分以上の差をつけてます。やっぱり世界の壁はかなり分厚いですね。9月まであっという間に過ぎるので、後悔しないよう全力で頑張ります。



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スイス遠征記 Vol.2

実は15日のマンハイムのレース中、マシントラブルが発生していたようで、16日のデュアスロンもしんどかった訳がわかりました。17日にハインツが勤めている病院のメカニックに溶接してもらい、無事、練習再開したのは良かったけど、溶接のために、シート類をすべて外されてしまい、せっかく見つけたベストポジションがパーになってしまいました。まぁ、レースに出れるようになっただけでも、良かったのですが。
で、日に日に、ポジションを探りながら、今日20日は、いよいよメインレースのダニエラユーツラ トラックレースです。ここでまた、トラブル発生!!移動中の車の中で、偶然、今度はフロントフォーク(前輪をとめてある部分)にヒビが!!軽量化や空気抵抗を考えて作った試作モデルで、強度がきっちり出てなかったらしく、練習量に耐え切れず折れたみたい。で、今日はレースを諦め、修理して22日のマラソンに賭けようと思ってたら、ラッキーなことにトラックのすぐ隣に、工場があり、スタッフがすぐに修理をしてくれました。競技一発目の1500mには間に合わず、観戦してたのですが800mと5000mは無事、出場できました。
結果は、ピエールに負けて2位ながら、なんと2年ぶりに800mの自己ベスト更新(1分39秒36)でもちろん日本記録も更新。5000mはジョエル、エレンスト、ハインツの3人が先頭でローテーションしながら、何とか暗い付いて、4位でフィニッシュ。タイムは10分20秒69で7位の渡辺幹司と共に、A標準記録を突破。
これで、200m/400m/800m/1500m/5000m/10000mの6種目でA標準記録を突破したことになります。さぁ、後はどの種目に絞るかな??アテネに向けて、かなりいろんな情報が入ったので、レーサー開発もかなり期待できそうやし、この調子でガンガン行きたいと思います。
ちなみに日本から参加の渡辺幹司も800mと5000mでA標準を突破しました。残念ながら日本の選考期間は終わってるんですが。海外は今、始まったばかりでこれからタイムを狙おうとする選手がいっぱい居るのですが、国によって事情が違うのでどうなるものか?出来れば幹司もメンバーに加わればいいのに。




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4月13日からのスイス遠征記 Vol.1

今年も恒例の、スイス・ハインツ邸の旅にやって来ました。
今回は15日にドイツ・マンハイムでのトラックレース、16日当日決まったデュアスロン大会(ラン5km+自転車17km+ラン5km)のレース、20日はダニエラユーツラメモリアル・トラックレース、22日シェンコンマラソンと走って、24日に帰国です。
まずは13日、夕方、チューリッヒに到着、前日入りしてたカメラマンのZinさんと合流し、スイスチームのコーチ、ポールの迎えでハインツ邸に。翌14日は朝からハインツと32km、午後は一人で15km程走り、15日のドイツ遠征。マンハイムはハインツ邸から車で3時間。朝7時に出発し10時着、11時からいきなりレースという、いつもどおりの過酷なスケジュール。
結果は200mが2位、800m1位、1500m3位、5000m2位、10000m4位と調整なしで、まずまずの結果でした。
16日はハインツがハンドバイク選手(手で漕ぐ車いす用の自転車、ちゃんと競技会もあって、速い選手は車いすレースよりも速い)の友人とチームを組んで出場するデュアスロン大会に、息子のヤンと急遽チームを組んで出場。最初のラン5kmではハインツ、フランツ、トビアスに次いで4位、バイクでヤンがコースを間違い、5位に後退。そして2回目のランで俺が一人抜いて4位でフィニッシュ。でも、ラッキーなことに、それぞれカテゴリーがあって、車いす+ハンドバイク、車いす+自転車、一人で車いすとハンドバイク、となっていて、Jun&Jan組は見事、ミックスの部(車いす+自転車)で優勝してしまいました。てな感じで、スイス遠征を楽しみ中!!  Vol.2をご期待ください。




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4月21日、ボンホー・リーが合宿に!!

今年もまた、ボンホーがハワイからやってきました。今回の目的は5月11日に行われる韓国でのアテネ代表選考会での勝利らしいです。ソウルパラ金メダリストの彼は、普段はハワイでバッグショップとサングラスショップを経営するビジネスマンですが、大きい大会のときだけは、血が騒ぐようで「復活したい!」とやって来ます。今回もハードな練習をこなし、もうベストコンディションになってるみたいです。彼にとってはレースは麻薬のようなもので、引退してもまた、すぐに走りたくなるらしいです。5回も引退しては復活、を繰り返してるみたいで、今回もまた、「アテネ後には引退」と言ってますが、多分、一緒に北京2008年を目指すでしょう。
これやから、レースはおもしろい。練習でもしんどくても、ついつい走ってしまう。面白いものです。滞在中、ボンホーは得意の韓国料理も作ったり、大分マラソンで出会った友達に会いに行ったりと結構、楽しんでいるようです。写真1枚目はボンホーの韓国料理パーティです。
今回はゴールデンウィークということもあり、神戸からガンジーこと萩原孝之も練習にやってきました。(写真一番下)






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ハウステンボス ユニバーサルスポーツフェスティバル

国内初と言っても良い画期的な大会が4月17日、18日の両日、長崎、ハウステンボスで行われました。この大会は文字通り、ユニバーサルな大会で、すべての人がスポーツを楽しむというイベントです。17日(土)は小、中学生による30m、300mダッシュ、赤ちゃんによるオムツハイハイ競争、車いす体験コーナー、インラインスケート教室があり、18日は朝8時よりインラインスケート5km、10kmレース、9時から車いす5km、10kmレース、最後は10時からランナーの5km、ハーフマラソンのレースがあり、晴天の中、無事終わりました。
今回、ハウステンボスというテーマパーク内でのレースで、まずは安全第一、そしてより多くの人にスポーツの面白さを味わってもらうという趣旨で行われましたが、今後の目標は、本格的なレースに発展し、もっと多くの人が参加し、最終的には全国のテーマパークで同じようにユニバーサルなレースをして、テーマパークGPにまで発展するようにしていきたいです。
第一回で事務局の方々も、大変苦労したと思いますが、大成功だったように思います。車いすの部にも、国内のトップ選手から用語学校の生徒まで、幅広く選手が集まり、インラインスケートの選手も「車いすもインラインも、同じ車輪の付いた乗り物」とまさにユニバーサルな考えで、本当に意義のある大会だったと思います。来年以降も、末永く続いていってほしいものです。


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4月7日 長渕剛 詩画展に行ってきました。

パリから帰国して、そのまま大分に戻り、夜中12時30分に鹿児島に向けて、剛ファンの友人、裕司さんとチカちゃんの3人で出発しました。(行きは一人で運転した)早朝6時30分に着いたので、まず鹿児島中央駅(旧西鹿児島駅)に行って、剛デザインの「風は南から」の前で記念撮影し、会場には9時のオープンと同時に一番乗り、玄関前のポスター「情熱」の前で、また記念撮影。そして、いよいよ入場!!
いやぁー、やっぱり行って良かった。絵からも詩からも、唄と同じエネルギーがいっぱい伝わってきました。そしてグッズをいっぱい買って、玄関前の大型テレビで地元テレビの放送をビデオで見て、あっという間に昼でした。帰りはさすがに睡魔に襲われ、爆睡しながら帰ってきました。何よりうれしかったのは、ほんとに老若男女、さまざまな人たちが感動してたと言うことです。改めて、長渕剛のファンで良かったと、つくづく思いました。




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3月7日 ロサンゼルスマラソンと3月14日 九州パラリンピック

まずはLAから
結果はBBSにも書いたのですが、13位という不本意な結果ながら、週末のレース3周目という過酷な日程で、大会3日前に現地入りし、今年は始めて、他の選手たちとビーチ沿いのホテルに泊まり試合前の調整をしてレースに挑みました。事務局から毎回、エリート選手の一人としてホテル代を負担してもらい、その上、食事会にも2度招待してもらうというありがたい環境の中、何とか前半の平坦部分は先頭集団で良い走りができたという事が、ちょっとは救いかな。まぁ、国内のレースでは味わえない、むちゃくちゃキツイ上り坂は、やっぱり外人にパワーには及びません。この辺も海外レースの魅力の一つかも知れません。 大会の雰囲気そのものが、イベント性が強く、選手も観客もみんなが楽しんでるというのが、海外レースの特徴です。日本でもどんどん、こんな大会が増えて欲しいものです。まだまだ、厚生労働省の管轄ではダメですね。早くスポーツ部門と福祉部門が別々になって欲しいものです。
続いて九州パラ
今年の天気予報では、暖かくなると出てたのですが、やっぱり肌寒さが残るとてもベストとはいえないコンディションでした。国内最後の選考レースとなる九州パラですが、昨年はいきなり雨。その後の選考レース2つ全てが雨という状況で、最後だけは何とか雨は持ってくれました。(でも、トラックが重い。)という事で、400m、800mに出たのですが、54秒23、1分49秒97と平凡なタイムながら優勝で、選考レースを全て終了しました。
結果的に、200m、400m、1500m、10000mの4種目でA標準を突破しました。これだけ出せば問題ないでしょう。通常は1種目出すのが大変なのに・・・
1996年アトランタの時は、最終選考で落選、2000年シドニーでは最後にA標準が出て出場し、銀メダル獲得。2004年アテネでは、早々にA標準を4つ突破と4年毎に確実に力がついて来ているような・・・
もっと高いレベルの練習をして、確実に勝てるようにしたいものです。

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忙しい1週間の旅

14日日帰りで熊本でのレースを終え、3時間掛けて大分に戻ってそのまま大分港に行き、フェリーで神戸へ。翌日15日早朝、神戸港に着いて西宮の大阪ガスの練習用トラックに行き、畑中和選手と練習。そのまま、陸路で東京へ。さすがに6時間の長距離ドライブはレース後の体には良くありません。16日は5年間お世話になった本田技研の本社へ挨拶に行き、昼から多摩川で練習。夕方は6月に出版予定の出版社と最終の打ち合わせ。(そうなんです、実は6月末にこれまでのいろんな出来事を1冊の本にしようかと・・・みなさん、買ってくださいね)
17日は朝から多摩川で練習、この日は強風で川に落ちるかと思いました。で午後からミーティングが2件ほどあり、18日はホンダアスリートの創設者へ挨拶に行き、夕方、取材を受けてそのまま名古屋へ向かいました。これが、首都高で事故渋滞につかまり、1時間ほどほとんど動けず、名古屋に着いたのが夜中の0時30分。
翌日19日はNiSSiNへ行き、アテネスペシャルのレーサーの仮合わせ。良いのが出来てました。
で、神戸経由でフェリーに乗り、20日朝大分に帰ってきました。そこで友人の寒ちゃんがFRPのカウルを作ってくれたので、取り付けに行ってきました。 あー長かった。まっ、こんなバタバタした1週間もたまには良いかな??




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京都駅伝 5連覇達成!!

2月29日、朝からの雨もなんとか上がった曇り空の下、宝ヶ池プリンスホテル前を午前11時30分、全国から集まった33チームが一斉にスタートしました。今回の大分チームは1区に安岡チョークと序盤から逃げ切りを狙ったのですが、何と2km過ぎでパンク。2位集団の北九州(副島)、東京(花岡)、京都(寒川)、岡山(松永)の4チームに追い付かれ、後半の下り坂で引き離されるという思わぬ展開での幕開けとなりました。が、2区の宮平が一気に先頭を奪い返し、区間新の力走で3区渡辺習へ繋ぎ、渡辺は京都の白須にわずか2秒差の区間2位(区間新)で4区笹原へ。最近、絶好調の笹原は前半の上りも一気に駆け抜け、向かい風の下り坂でも40km/hを維持して、アンカー廣道へ。当然、この時点で2位以下は全く見えず、廣道は区間記録には23秒及ばなかったものの区間1位で、大会記録にわずか2秒及ばずの43分50秒で見事5連覇を達成しました。2位は北九州(副島、大津、ホッキー、山本、安川)で47分50秒。3位は京都A(寒川、澤村、白須、西原、吉松)で47分53秒でした。
今回も、高円宮妃殿下のご臨席を賜り、閉会式では父親に手まで振って頂け、親子共々ありがたい経験をさせて頂きました。妃殿下と「アテネでの金」を約束したので、より一層練習に気合が入ります。
選手係で付いてくれたボランティアの3人にはほんとにお世話にありました。ありがとう。
大分県人会の皆さんも、応援ありがとうございました。
写真はゴールの瞬間、表彰、妃殿下と父を探す、県人会とボランティアと一緒に。





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2月22日 大阪シティハーフマラソン

久々に優勝を味わいました。(笑) 今年に入って、少しずつ調子が戻りつつある中、大阪城公園の段差、くねくねコーナー、数箇所の上りという悪条件を克服し、47分54秒で2回目の出場で初優勝しました。2位は花岡選手(東京)で1秒差の大接戦。展開はスタートダッシュでまず、廣道が20〜30mリードして1kmを通過、くねくね道で花岡選手と山本選手(福岡)に追い付かれ先頭集団は3人に。3kmから4kmにかけての上り坂で山本選手が遅れて、先頭は2人に。10km過ぎの下りの左鋭角カーブで廣道が仕掛けて50m程リードしながら、12km地点の大阪市役所折り返しポイントで花岡選手が追い付く。
復路は工事車線などがありスピード上がらずややペースダウンしながら、再び大阪城公園に帰ってきて、下り坂を利用して、廣道がスパートし20mほどリードするも、コーナーで減速しまた追い付かれる。そのままラスト1kmで、さらにスパート。ラストは何度か指しに来た花岡選手を抑えてガッツポーズ!! やっぱり優勝は気分が良いです。
レース前に体調を崩し、その間にグローブを新しく作ったのですが、これがピタッとはまって、良い走りが出来ました。心配された天気もレース中はもってくれたので、最高の走りが出来ました。

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4月より、本格的にプロ活動!!

昨年末より。いろいろと考えてたのですが、シドニー遠征中に決断しました。3月いっぱいで5年間勤めたホンダ太陽を退社することにしました。アテネに向けて充分な練習環境を整えるために、フリーになり本格的にプロ選手として戦っていきます。昨年12月に株式会社ライツとマネジメント契約も交わし、順調に話は進んでます。拠点は大分県日出町で変わることはありません。今後もこれまで以上に、レースや講演活動に力を注げると思いますので、みなさんよろしくお願いします。

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サマーダウンアンダーシリーズ2004

真夏のシドニーに行ってきました。今年は前後でブリスベンとキャンベラのオーストラリアGPもあったので、1月19日から2月3日までの長い遠征で11レースに出場してきました。
結果はまず、最初のブリスベンGP 1500mでいきなり12位の最下位に終わりました。翌日すぐにシドニーに飛んで、いよいよサマダウンアンダーの開幕です。移動して直後の5kmロードも平凡なタイムで19位となり凹んでましたが、オーストラリアデーの26日に行われた10kmロードでは第2集団の前方で勝負し、結果的には12位でしたが、そこそこ調子も上がってきて、メインのトラックレースが28日、29日に行われました。
トラック初日、まず400m予選を軽く流してトップで通過、1500m予選、準決も無事通過し、400m決勝は雨の直後のレースになりながらも、52秒98のA標準記録突破で1位でした。
10000mは雨の影響、翌日のレースを考え途中で棄権し、初日は終了。
トラック2日目は200m決勝からです。27秒55で4位でしたが、A標準記録突破です。続く800mは昨年のアトランタ、スイスの2大会で勝ってるので、3連覇が掛かってましたが、1分43秒34で無事、1位でゴール。1500m決勝は、最後の指し合いで何とか3位になりタイムも3分05秒台でした。そして最後の5000mですが、疲れもあり、集団の後方でチャンスを伺う作戦で行きましたが、残り700mで接触し集団の後方でそのままゴール結果は10分47秒と平凡で、10位でした。これでサマダウンアンダーは終了です。シリーズのポイントは総合で6位でした。ロードレースが不利なコースなので、上出来かな?
そして、キャンベラGPです。シドニーからバスで4時間。これはさすがに参りました。このブリスベンGP,キャンベラGPはオーストラリアの一般の陸上選手権でそこに車いすの部門が設けられていて、男子1500m,5000m女子800m,5000mのレースがありました。
キャンベラ初日の30日、5000mがありましたが、結果は先頭の4人に逃げられて10位。この頃には疲れでヘロヘロでした。そして31日、いよいよ最後の種目1500mです。が、残念ながら予選で5位になり、決勝を逃し全レースが終了しました。
感想からいうと、やはり体力が足りない。でも、メインのシドニーのトラックレースではちゃんと結果も残せたので、この時期にしては上出来かな。1月から使い出したニッシンのレーサーもちゃんと合ってきてます。もう、アテネ仕様も開発に入ってます。4月には出来上がるので、かなり楽しみです。このまま好調を維持しながらがんばります。

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サマーダウンアンダーシリーズ2004

今年も、この大会から徐々にエンジン始動って感じです。
やっぱり冬より夏が良いです。今年はオーストラリアGPのトラックレースが加わり、例年よりも早めに現地入りし、帰国も遅くなり、滞在期間は16日になります。
まずはGPのブリスベンです。23日、朝に飛行機で現地に入り、20時頃1500mのレース開始です。オリンピックや世界陸上などと一緒で、一般の大会に車いすの部門が設けられてます。 で、レースが終わると翌24日にシドニーに早朝戻り、夕方には10kmレースのスターティンググリッドを決める為の1kmタイムトライアルです。1日おいて26日がオーストラリアNational Dayで OZ Day 10km レースがあります。その後28日、29日とオリンピックスタジアムでトラックレースです。ポイントレースの為、100m〜10000mまで7種目全てにエントリーしてます。 最後がGPのキャンベラです。これも同じように一般のランナーの大会ですが、車いす1500mと5000mがあります。
今回の目標はまずは、アテネ参加標準記録を突破していない800mと5000mです。それで5種目全てで標準記録突破ということになります。
それとアテネに向けて、他の選手の調子を探りながら、ポイントでも上位を狙います。

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1月12日 大阪マラソンは惜しくも2位!!




日進に乗り換えての初レースで気持ち良く優勝と行きたかったのですが、残念ながら1分14秒差で2位でした。大分の笹原選手が1枚上手でした。最近、T4選手の成長が凄いです。
シートポジションもかなり空気抵抗が少なく、どんどん手強くなってきました。が、このまま負けてる訳には行きませんので、さらに練習時間を確保して頑張ります。
レース展開はスタートで廣道がまず先頭、副島、廣道でローテーションしながら、1周目を通過。(このコースは1周2.8kmの公園外周を15周します)その時点で廣道、副島、笹原、山本、田中、川上、福場、岩下、上田が集団。離れだしたのが渡辺、西原、白須、初フルマラソンのホッキー。ちなみにホッキーは1時間45分でした。
そのまま、しばらく集団がバラけず、上田が前輪パンクで脱落し、福場も後半パンクpし、岩下が疲れから脱落し、いよいよ笹原、廣道、副島、田中、山本、川上の6人に。残り3周に入る直前に笹原が一気にスパート。そのまま100m程すぐに開いて、あとは一人旅でのゴールとなりました。2位集団は終始後方でチャンスを伺う田中選手がラストスパート、負ける訳には行かず、廣道が交わしてそのまま2位でゴール。3位争いは副島が馬力と踏ん張りで見事競り勝ちました。展開からすると、俺もまだまだ弱いなぁと感じました。うるさい父親いわく、「お前は持久力が足らん!!」だそうです。もっと走りこみます。


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沖縄自主トレより無事戻りました。

さすが沖縄、毎日20度以上で気持ちいい汗をかきながらの練習でした。
実は今年から5年間お世話になった、オーエックスエンジニアリングを離れ、新たに日進医療器の車いすに乗ることになりました。レーサーも日常用もすでにDesigned by Jhiromichiで出来上がっており、沖縄で1週間使いましたが、パーフェクトに近い出来上がりです。設計の段階から、かなりワガママな要望(速く走るためには妥協出来ないので、本人はワガママとは思ってないが・・・)をきっちりと取り入れて頂き、大変満足のいく出来でワクワクしてます。と、言う訳で、今年からはニッシンで行きます。